10.あの世の和香会(2-2)
(1) 問答が始まる。ヒロちゃんが尋ね、かぐや姫が答える。
① ヒトとしての世界って何なの。
A) この世とは。
a 人間は動物だ。感覚や感情の心の働きは他の動物と同じだ。感覚や感情の心は現在の現実つまりこの世を映し出す。
B) あの世とは。
a 人間が他の動物と違うのは、言葉の心を生みだす大脳新皮質が大きい事だ。言葉の心は記憶の過去や願望の未来、つまりあの世を作り出す。あの世と言うと死後の世界と混同しがちだが、生死には関係ない。あの世では、体験したことを言葉にして記憶したり、現実には存在しない事物を言葉で抽象的に作ることが出来る。さらに、時空を超えて、伝達したり、共有したりできる。
C) あの世って死んだ人が行く所じゃないの。
a あの世を、死んだ人が行く所と言うのはなぜだろう。目に見えない、触れないところと言う意味だ。それなら宇宙の果ても、夢や知識という抽象的なこともそうだ。つまり言葉のすべてがあの世なのだ。
b 見えているリンゴはこの世のリンゴ、見えていないリンゴはあの世のリンゴだ。見えていなくても、言葉として在るのがあの世だ。動物としての感覚や感情の心で見ているのがこの世、ヒトとしての言葉の心で見ているのがあの世だ。
c トンボの話をしよう。場面は池の底だ。婆ちゃんがタニシ、お前はトンボの幼虫のヤゴだ。ヤゴは池の底にへばりついている。「さっき姉ちゃんが蓮の茎を上って、天井の鏡を超えて消えた。どこにいったんだろう」。「あの世さ」。「あの世ってどんなところ」。「水の代わりに空気がある。天井の代わりに無限の空が広がっている。いいところだ。わしは出たり入ったりしているよ。あの世の方が好きだよ」。ヤゴは感覚や感情の心、トンボは言葉の心、水中はこの世、空中はあの世の例えだ。
d 見えていても言葉で知っていなければあの世には入らない。物としてあるかないかではなく、言葉としてあるかないかだ。あの世は、言葉で出来ている。見えていても言葉になっていない光景をこの世、見えていてもいなくても言葉になっている情景をあの世とする。動物としての感覚や感情の心に映るのがこの世、ヒトとしての言葉の心が作るのがあの世だ。この世を具体的、あの世を抽象的とも言う。この世とあの世は、脳の働きによって脳の中に作られる。心はそこを行ったり来たりしている。
D) どっちが本当の世界なの。
a 感覚の心の主人公である自身にとっては、この世が本当の世界だ。感情の心の主人公である自我にとっても、この世が本当の世界だ。言葉の心の主人公である自分にとっては、あの世が本当の世界だ。おまえがヒトとして生きようとするならあの世が本当の世界だ。
b ヒトとして大切なのは、より良い人生を作るための世界だ。感覚や感情の心は今ある状態を受け入れることしかできない。今より良い状態を作ることはできない。だから、この物語の主人公であるお前の言葉の心にとっての本当の世界は、言葉の世界、あの世だ。
c 言葉の心には言葉しか見えない。言葉になっていない事物は、たとえ感覚の心や感情の心が感知していても、存在しないのと同じだ。言葉になっている事物は実在、なっていない事物は虚無なのだ。新約聖書に「初めに言葉があった」というのはこのことだ。世界は言葉で作られるという意味だ。
② あの世は僕にとって、何の役に立つの。
A) 人間の心は動物の心の時もあり、ヒトの心の時もある。感覚や感情の心は動物としての心で、言葉の心はヒトとしての心だ。動物の心で暮らしているのがこの世で、ヒトの心で暮らしているのがあの世だ。あの世はお前がヒトになっている時の住処だ。
B) かぐや姫のように、自分はあの世にいるべき者だと知れば、この世の試練や誘惑に負けないぞと言う気持ちが持てる。
③ あの世を身に着けるとどうなるの。
A) 人間は動物だ。そしてヒトでもある。それぞれに別々の心の働きがある。それを場面場面で切り替えながらそれぞれの世界を行き来している。何も問題が無い時は、感覚や感情の心で、動物として、本能のまま現在の現実つまりこの世に居る。何か問題が起こると言葉の心に切り替わり、言葉で出来たあの世で、記憶の過去を呼びだて参考にしたり、願望の未来を作り出してやる気を出したりしている。知恵や勇気はあの世から生まれる。人類繁栄の理由だ。
④ あの世を身に着けるにはどうすればいいの。
A) 地面が球で、私たちを乗せてクルクル回りながら太陽の周りをまわっていて、太陽と一緒に光の速さで、宇宙の中心から遠ざかっている。これは目に見えないけれど、もっと言えば目に見えるのと反対だけど、言葉が作るあの世だ。見えないことだけれど婆ちゃんは信じているよ。でも信じない人もいる。見えないことは、誰かが言葉にして、その言葉を知って信じた人にとって、本当のことになる。それまでは無いのと同じ、虚無なのだ。知らなかったり信じなかったりする人にとっても、無いのと同じ、虚無なのだ。見えていなくても、例えば宇宙の果ての向こうのように、あるけれど言葉になっていないだけかもしれないし、その言葉を知らないだけかもしれない。見えていても、それについての言葉を持っていなければ、理解も記憶もできないという意味で無いのと同じ、虚無になる。
⑤ あの世は自分が作っているの。
A) 学校で飼育したカイコの事を考えてごらん。小さい時は裸で外に暮らしているが、成熟すると糸を吐きだして住居である繭を作る。そこで空を飛べる体に変態する。ヒトも感覚や感情の心でいる時は裸でこの世に暮らすが、言葉の心に切り換わると言葉の糸を紡いであの世の繭を作り、その中で、記憶の過去や願望の未来へ行ける翅を作っている。繭の外、この世で、強く生きられるようになる。残した繭は美しい絹糸になって、次のみんなの役に立つ。
⑥ じゃあ、僕にとっての世界は、僕が知っている言葉だということになるね。世界は言葉で出来ているということになるね。みんなそれぞれ知っている言葉が違うから、世界は一人一人別々に一つずつある、ということになるね。お父さんやお母さんとも別の世界に居ることになる。何だかさびしい。
A) これから話す話は、言葉の国の話だ。あの世を言葉の国と呼ぶことにする。地球にいると思っているけれど、本当は言葉の国に居るんだよ。言葉の心が一人に一つずつ、別々に在るように、言葉の国も、みんなに一つずつ、別々に在るんだよ。以下は婆ちゃんの言葉の国の話だ。これを参考にして、おまえはおまえの言葉の国を作らなくてはいけないよ。ヒトとして生きるために必要な、知恵と勇気を湧かせるためにね。
B) 戦争はこの世という同じ土俵の中で国と国が戦っていると思っているが、本当は別々のあの世とあの世が戦っているのさ。あの世とあの世の戦いには共通の土俵がないから、善悪も勝敗もない。いじめや仲良しについても同じだ。別々のあの世がいじめたり仲良くなったりしているので、一つのあの世の中に一緒に居るわけではない。でもそれで良いはずはない。最後の大きな救いで説明するよ。
(2)閉会。
① 「香満ちました」と唱和して礼をする。かぐや姫は木の中に帰る。
② ノンちゃんの夢は終わる。
③ この言霊の伝達式の次題は、ノンちゃんが薫香録にして、USBに入れて、押し入れの桑折へ。いつかヒロちゃんに渡るようにする。
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