香炉屋日記290511銀河鉄道の夜(2/11)
本の裏に、天の原振興財団とあり、ホームページのアドレスがあった。製本したり、届けてくれたりした人の正体がわかるかもしれない。自宅へ帰ってから、その夜、パソコンで開いた。多摩丘陵に在る老健施設の本部だった。
関連施設の写真があって、理事長挨拶の欄に、高齢の男性の笑顔の写真があった。見覚えがある顔だが思い出せない。その片隅に香心門という看板がかかったSNSの入り口があった。
ボタンを押して入場。いくつかの部屋がある。問題の銀河鉄道の夜という部屋に入った。室内に九つのドアがあって、いくつかの老人施設に続いている。昨日の昼に行ったひらお苑があったので入る。
そこはお座敷列車の中だった。落語の舞台にあるような立て札に「乳の香席」と書かれている。
着席する。
香元を挟んで、数万人もの客が輪になって座っている。座席は時計に例えれば、香元が12時、私は0時1分の位置だ。香席ではすべてが時計と逆に廻る。私は最下座だ。今、数万人がこのSNSでつながっている。体の無い言霊として参加している。
鉛筆と、今日の「薫香録」の用紙が配られる。日付と下の名前をひらがなで書く。ここまでは昼間の和香会と一緒だ。香元が香題らしきものを唱える。良く聞こえない。薫香録に文字が浮かんでくる。あれ、これは昔、父の葬式で僧侶が唱えた文章だ。ひどく強迫的で、とても嫌な気持ちになったことを思い出した。なんでこんなのがと思う。
香元が宣言する。今日は初日で、香を一種しか用いない観賞香をします。香の名は乳です。
香炉が廻ってくる。乳の香りがする。といっても沈香の甘い香りに紛れた微かな香りのクセに過ぎない。甘みに少しの苦味が混ざっている。牛の乳というより記憶の彼方の母の匂いだ。この香りを言葉にして薫香録に書くと、体へのこだわりが消えると言われる。体へのこだわりが消えたら、生きていられないじゃないか。ここは変な宗教団体かと警戒心が湧く。右の横に居る香元に香炉を返しながら、そう伝えたが、香元は笑いながら何も答えなかった。香元が教祖なら言うだけ無駄だった。私は疑っているが、みなは真剣に書きこんでいる。徐々にみなの表情が軽くなっていく。
薫香録を読みなおす。「さて、自分の生きてきた道を振り返ると、何も残らない1回限りの旅だったな、という思いがする。不老不死なぞなく、人生は短い。百年も続かない。早い遅いはあっても、いつか誰もが来た処へ帰る。その時を迎えてから何をしても無駄だ。いくらねんごろに弔ってもらっても、もう意味はない。だから、いつ終わりが来てもいいように心構えをして、生きよう。見える体にこだわって、現実の成り行きにまかせるのでなく、言葉で、あるべき自分を作って目指して生きよう」。これは死者を利用して遺族を脅す因習宗教でなく、生者に生きようとする気力を与える文章だった。
そうかここに居る人々は、あの地震や津波で、大切な人を失った人たちなのだ。失われた家族を、体から言葉に変える。それは、新しい一歩を踏み出す為の、心の準備なのだ。
不思議なことに、用いた香木片は無尽蔵で、全員に一つずつ配られた。薫香録を香包みに折って、その香木を納め、一生身につけるように言われた。窓の外を見ると、光星が散りばめられた暗い空間が流れていく。乗客は淡雪のように消えていく。ホームページの入り口に戻っていた。香包みは心に吸い込まれて消えていた。画面の時計では、入って出る間、ほんの数秒だった。疲れた。続きはまた今度にしようと思い、画面を閉じた。
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